「手仕事」と「機械仕事」
このところ、家づくりにおいて「既製品」や「工業生産品」がとても多くなってきています。
人材不足に加えて労働時間の制限もあるため、「省力化」を進めていくことは、この時代には仕方ないことです。
「省力化」が当たり前になりすぎると、寂しい、無味乾燥な世の中になってしまうのではないかと思い、今回のコラムを書いていきたいと思います。
手仕事の意味とは
学生時代に、縁があって漆塗りの先生に師事したことがあって、手仕事について学び、一品一品手で仕上げることの意味を教わりました。
先生は次のようにおっしゃっていました。
「時間をかけて造ることが大切で、機械を使って出来たものは大事にされない。
結局は長く使われることはないから。
想いが伝わるから大事にされるし、大事にされるから長く使ってもらえる。
毎日使う食器だからこそ、手仕事の道具を使う意味がある。」
大事に造られたものであれば、その想いが使い手に伝わって、大事に使われます。
塗り直しなどを行いながら、本当に長く使われ続けるのです。
これは家づくりに通じるところがあり、あすなろ建築工房の家づくりの根本はここにあると思っています。
ある日届いた謎のダイレクトメール
そんな「手仕事」が好きな私にとって、最近違和感のあることが起ったのです。
それは、最近送られてくるダイレクトメールです。
一見すると、手描き?と思ってしまうのですが、それにしてはとても字がキレイで、行も整っているお手紙が時々届きます。
M&Aの営業封書で、宛名も手書きに見えるのです。
これを見て、あなたは違和感を感じないでしょうか。
あすなろ建築工房のスタッフにも「これは手書きだと思う?」と聞いてみたところ、「確かに違和感はあるけど、手書きじゃないんですか?」という返答でした。
違和感が強いので、凝視して見比べてみました。
あすなろ建築工房の住所と私の名前の部分を見比べたところ、字のアンバランス感がすべて同じなのです。
同じ文字を探してみると、手書きでは再現できないほどの「同じ書体」であることが分かりました。
「違和感」の正体は、「手書きを装っていること」だったのです。
ネットで調べたところ、「ロボット手書き代筆サービス」だと判明しました。
手仕事を装った機械化です。
心がこもった「風な」印刷物です。
機械化された物に愛はある?
このような手仕事を装った工業製品は、実は建設業界では当たり前にあります。
代表的なものは、漆喰や珪藻土塗りを模したビニルクロスです。
左官屋さんの手仕事を真似たものですね。
レンガや石積みを模したビニルクロスもありますが、私にとっては気持ち悪く感じてしまいます。
床材も同じです。
石目調のフローリング、畳調のクッションフロアなどがありますが、気持ち悪い感じしかありません。
内装材だけではなく、外部も同じです。
「塗り壁風」のサイディングでは、”コテ塗風の素材感がポイント”だと表記されたものもありました。
木肌を活かすのではなく、木肌風のサイディングもあります。
伝統的な焼杉の風合いを炭化度合の強弱で表現したという焼杉調のサイディングまで。こうなると、気持ち悪くて仕方ありません。
こういう○○調というものは「なにかのフリ」をしているということですね。
何かの「フリ」をしているものは、将来必ずバレてしまいます。
経年変化のない焼杉には「気持ち悪さ」しか感じられなくなるでしょう。
何か別の素材のフリをした新建材で造られた家が風化すると、どんどん違和感が強くなってしまいます。
手仕事は手仕事。
機械化は機械化。
機械化されたものであれば、徹底して機械化した結果を表現すればよい。
機械で造っているのに、手仕事のフリをしているから、気持ちが悪い。
機械化で製造されたものには、結局はそこに愛がないのです。
愛が無ければ伝わりません。
伝わらなければ愛されません。
先に紹介したダイレクトメールも、最初は「おっ」と思い、読んでみたのですが、表面的な文面に違和感を感じました。
結局「こんな手仕事のフリをした手抜き営業に騙されるものか!」と思ってしまいます。
このような手段を使う方と仕事をしたいとは、まったく思わなくなりますよね。
まとめ
「手仕事は手仕事。機械化は機械化。」
はっきり分けて判断すればよいと思います。
とは言っても、今後は人手不足も相成って、住宅の世界にも大工が造った風の工場製品が当たり前になってくるかもしれません。
職人自体が少なくなって、そうでもしないと家を造ることが出来ない時代に突入しています。
手仕事では家を造ることは出来ず、新建材を使った工場で造った家しか手に入れられない時代になってしまうかもしれません。
そうならないために、あすなろ建築工房では、手仕事ができる職人育成にも注力していきたいと思います。
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